阪神淡路大震災のあの日・・ 07/01/17
「何!なに!なにこれ!?」
12年前の今日、朝早く、
起きようとしていた体に、何かわからない、
大きな突き上げるような力が突然やってきました。
主人は「なんや!」と、
起き上がれずに布団をかぶり、
私は、
隣の部屋で寝ている次男に向かって叫んでいました。
「生きてるーーー??!!」
「生きてるでーー!なんやこれ!?地震かあ!?」
息子の声にホッとして、行こうとしても、
暗い中で、何かが倒れており、足を取られながら、
あ、長男!
東京にいる息子は大丈夫なのか!
あわてて手探りで電話を探しました。
眠そうな声で出た息子に、ホッとし、
「あ、大丈夫なん!?良かったあ!
こっちは無事やから、心配せんでええからね!
寮の人たちと一緒に行動しなさい!わかったね!
こっちは大丈夫やから!」
当然、東京も同じような状態だと思っていました。
息子は、何のことだかわからず、
又電話をかけて来たようですが、
すでに電話は不通になっていたそうです。
下で寝ている母に、
「お母さーーん!」
と叫びながら、階段を恐る々下りました。
「コロ、大丈夫やったか?吃驚したなあ、えらいことやで」
次男は、
庭でうろうろしていコロを抱いて、
外の状況を見に出ていました。
そんなことをしている間に、夜が明けてきました。
TVをつけました。
長田の町が燃えていました。
ご近所でも、
屋根瓦が落ちたお家が見えます。
石塀は崩れ、
ぐニャッと曲がった車庫の屋根もあります。
4件向こうのお家は、相当に傾いています。
「震源地はどこやろ、えらいことになってるねえ」
と、話しながら、
ご近所さんと無事を確認しあいました。
我が家は、ピアノが飛んで場所を変えておりました、
倒れた本箱は机で止まり、
食器棚は全開した扉から、食器が散らばり割れていました。
母も「えらい地震やねえ!」
「家の中も靴を履かんと、危のうて歩けへんわ」
しかしその後、すぐに知った各地の大変さは、
想像以上のものでした。
特に大きな被害は無く、
水も電気もガスも、使うことができた我が家の、
この程度の状態など、震災には入らないほどのものです。
高校生の息子の学校は休みになり、
神戸のど真ん中の私の職場もビルは傾き、
入れない状態だったようです。
主人の職場は大阪です。
1時間ほどで行けるいつもの電車は走っておらず、
片道3時間かかる廻り道で、
動いている電車を乗り継いで出かけ、
時々は、大阪の妹の家に泊めて貰って出勤をしました。
その大阪は、この災害が、
他所の国の出来事のようにいつもどおりに動いている、
と、主人はとても奇異に感じたそうです。
私の職場の仲間は、全員が被災者です。
家が崩れ下敷きの中から助け出された者、
高齢のお母様を助け出せずに亡くした者、
様々に生活が一変してしまいました。
わが町の空き地にも、
仮設住宅が建ち始めました。
1ヶ月ほどして、少し周りが落ち着いた頃、
後に震災ルックと名づけられた、
マスクに帽子にリュック姿で、職場の仲間と再会しました。
その時に、
皆が声をそろえて言ったことがあります。
こんな大災害でも、
自分の生活は自分で守らなアカンものなんやね。
最初は皆が同じ被災者でも、
時間が経てば経つほど、生活に差が出てくるものなんやね。
行政を当てにしとったら、結局置いていかれるよ。
と。
そして、
神戸に地震が来るなんて、一度も聞いたことはありません。
地震予知に巨額なお金を投じるのではなく、
ライフラインと呼ばれる水道、電気、ガス、
これらをどのような災害にでも耐えるものにする、
そのことに投資することのほうが、
よっぽど大事であり現実的です。
ライフラインが大丈夫であれば、
人は少々のことでも落ち着いた行動が出来るものです。
「あの地震が、あと数時間遅かったら、私らは生きてへんよ。」
「神様は、まず警告をしはったんやね。
この時間なら、被害はまだ少なくて済むからと」
「少ないないよ!あの被害!」
「だけど!あれが昼間やったら!」
「ほんまやねえ」
今でも仲間達と会った時には、そんなことを話します。
震災後、時間が経つにつれて、
思わぬ後遺症があることを知りました。
地震直後、親が、子どもの名前を呼んだ時、
自分が先に呼ばれなかった、兄弟の名が先に呼ばれた、
それがショックで心を病んでしまった子どもがいます。
揺れた時、横に寝ている夫が自分を庇ってくれなかった、
家が被災しているのに、夫は仕事に行った、と
離婚をすることになった夫婦もたくさんあるそうです。
思わぬ現実です。
また、ほこっとする、思わぬ姿も見ました。
1ヶ月ほどして、はじめて神戸に出た時、
傾いたビルや瓦礫の溢れた道の花壇に、
水をやっている人達がいました。
神戸市のマークの車から、ホースが伸びていました。
涙が出るほど感動しました。
こんな時にも、花に水をやるなんて!
人間てええなあ、と思いました。
水が出ます、使ってください、という紙を外の水道に付けたり、
水の止まっている地域の知人に、
洗濯やお風呂を貸しあったり、おにぎりを届けたり、
皆が当たり前にやっていました。
今日は、あの震災から12年です。
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